Z 不良神父、キレる  ビルの内部の作りは、侵入者を惑わせる為か、何処ぞのテレビ局宜しく複雑に入り組ん だ迷路のようだった。おまけに蛍光灯は疎か、空間と云う空間が闇に閉ざされており、見 辛いコトこの上無い。  バーテン・ケイさん(本名・藤田 恵一、三十三歳独身)曰く、このビルの一階から七 階までは、事務処理や倉庫等の部屋で占められているらしい。僕が目指している場所―― 八階の社長室は、額面通りなら、もうすぐ見えてくる筈だ。  ここへ来るまで差したる妨―― 「………ち」  突如、カーテンの影から、スーツを着込んだ男が飛び出してきた。手には大型ナイフが 握られており、その先端は僕の心臓を目指して迫ってくる。  やれやれ………  辟易しながらも一歩踏み込み、そのまま踵で思い切り相手の足の甲を踏み砕く。そして 素早く手首を返し、ナイフを奪い取る。そのままアーム・ロックを極めたまま倒れ込み、 相手の後頭部を床に叩き付け、同時に肘を入れる。全体重とスピードが載った、完璧な一 撃だ。 「――辻無限無双流柔術、当て身………〈狼牙〉」  現在相手がどうなったのかは、想像に難くない。頭が割れ、顔面が陥没し、恐らく頭蓋 の中で脳が高速でシェイクされているコトだろう。  やがて相手は血溜りを作り、ぴくりとも動かなくなった。一応不意打ちを未然に防ぐ為、 奪い取ったナイフで肩口を床に縫い付けておく。  懐かしい、感触だ。 「一体何処からこんなに湧き出てくるんだか………頼むから死ぬまで隠れてろっての」  度重なる妨害に、イイ加減嫌気が差してきた。手に付いた血と脂を襲撃者の服で拭いて、 思わず愚痴ってしまう。  忌ま忌ましげに背後を振り向くと、襲撃者達の累々たる屍が転がっている。  何れも白目を剥き、血溜りに身を埋めている。  死んではいない筈だ。  多分。  それはさて措き、気のせいか、奥へ進むに連れて、より伎倆がある者が現れてくる。ど うやら本気で仕留めに来ているらしい。しかし、自分で言うのもアレだが、その力の差は 歴然で、体格がどう、技がどうとか言う問題ではない。言っちゃ悪いが、僕に返り討ちに される為に現れているようなモノ――精々時間稼ぎで精一杯だ。 「うや」  ――やがて、無数に枝分かれしていた通路が、一本道になり、眼の前の照明が仄かに明 るくなってきた。そして漸く襲撃もなくなり、広々としたロビーが見えてきた。  ついでに、十人ばかりの厳ついガードマン達も。  前の闘いを見ているだけに、彼等は必死だ。顔にこそ出さないが、漂う空気がそれを教 える。 「来な」  だが、 「待て」  凛とした、その声が彼等を止めた。丁度彼等の背後で、両開きのドアがゆっくりと開き、 中から一人の女性が現れた。  オートクチュールのスーツを着熟した、長い黒髪が特徴的な、二十代半ば頃の女性だ。  彼女は彼等を治め、その場を支配した。 「下がりなさい」  すると彼等は、瞬く間にその姿を消す。それを見届けると、彼女は僕に見向いた。 「御巫君、ですね。社長がお呼びです。どうぞお入り下さいませ」 「ああ」  返事をするなり、僕は彼女の後に従いていった。  ロビーを出て、暫く言った先に社長室はあった。  彼女は社長室のドアで立ち止まり、背後にいる僕を見た。そこで彼女は、「失礼」と思 い出したかのように頭を下げ、胸ポケットから名刺を取り出し、僕に手渡した。  株式会社鳥羽商事 社長秘書  桧月 真央――  ひづき、まお、ねェ………誰かさんに敗けず劣らず難しい漢字だ。  彼女――桧月は、ノックした。 「失礼します」 「どうぞ」  中から、若い女性の声が聞こえてきた。その声を聞いて、思わず僕は眉を顰めた。何か 場違いな違和感を感じたからである。  桧月は、ドアを開いた。  部屋自体は実に簡素で、キャビネットと黒光りするマホガニーのデスク、あとは鑑賞用 植物が置かれているだけである。そして部屋の奥は総ガラス張りで、そこに彼女はいた。 こちらに背を向け、洒落た都会の夜景を見ている。その後ろ姿を見ながら、厭な予感がし た。  それも、とんでもなく。  少し、間を置いてから、彼女はこちらを振り返った。  彼女は、実に若く、どう控えめに見ても二十歳を越えているようには見えなかった。背 が高く、黒髪に黒眸と、特徴だけなら桧月と同じだが、その質は段違いだ。  どうやら彼女が、社長・鳥羽 眞巳のようだ。  その姿を目の当たりにして、僕は思わず息を飲んだ。 「社長、こちら――」 「久し振りだね。ミスター・フェンリル」  彼女が紹介する前に、社長さんは小さく頷き、にっこりと微笑んだ。  だが、僕は彼女に微笑み返すコトが出来なかった。 「あんさん、かよ――」  僕は辛うじてそう呟いた。  株式会社鳥羽商事社長・鳥羽 眞巳は、既に知っている女性だった。  かつての『エッダ事件』にて僕と対峙し、敗れた女――《スクリミール》だ。 「久し振りだね、コマ君。――ようこそ、《ニフルヘイム》へ」  そう言って、彼女は再び微笑みかけてきた。  ニフルヘイム――霧の国、か。随分粋な名前だ。  しかし、一方僕はと言えば、あまりの驚愕と困惑で返礼も忘れ、唯呆然と立ち竦む他無 かった。  来客用のソファに腰掛けるなり、《スクリミール》――元い鳥羽は微笑んだ。 「思った通り、来てくれたね。嬉しいよ。桧月、あれを出してくれないかい」 「――はい」  返事をするなり桧月は奥へと姿を消し、すぐに戻ってきた。 「――どうぞ」  出されたのは、一見何の変哲も無いティだ。匂いから察するにハーブティだろう。 「母が昔からお茶にはうるさくてね。多かれ少なかれ私もその影響を受けて、結構凝って いるんだ。最近では、お茶を淹れる時はいつも自家製のハーブを使用している。お口に合 えば幸いだ」  取り敢えず、ミルクと砂糖をたっぷりと入れる。ここだけの話だが、僕は甘党で、珈琲 にもお茶にも無頓着なのだ。 「お味は如何かな?」 「――甘い」  素直に答えると、彼女は小さく笑った。  まあ、どうでもイイケド。 「別に茶を飲む為にここへ出向いた訳じゃあないんだ。色々と訊きたいコトもあるケド、 取り敢えずそれは後日改めて訊くとして、今回は後回しだ。単刀直入に訊く。なぎは―― 辻 梛叉は何処だ?」  僕は視界に鳥羽を収めつつ、周囲を探った。 「まあ、慌てないで。――桧月」  彼女はそう言って、指を鳴らした。すると、桧月は再び奥へと消え、戻ってきた。 「………見た感じ疵は無いようだな」  だったら僕に聞かせたテープは何なんだ?合成か?それとも……… 「当然だよ。それとも、そんなに我々が信用出来ないかな?」 「当然だ。手前ェ等《O・D・K》の手口は俺が一番よく知っているからな。女がいれば 寄って集ってボコり、あとは輪姦してんだろうが?まあ今回は奇蹟的な例外中の例外らし いがな」  毒を吐くように言い捨てると、彼女は哀しそうな振りをしながら、肩を竦めた。 「け」  それよりも、なぎだ。  なぎは、手錠で拘束されていた。見た感じ、確かに疵は無いが、拉致された時の恐怖、 普段とは別の、幽閉された時の孤独を味わったせいか、顔色が良くない。寧ろ悪い。何故 か角(触覚?)が頭から二本生えていたりしたが、それはこの際問題ではない。 「なぎ………酷いコトはされなかったか?」 「う、うん」  訊くと、なぎは小さく頷いた。拉致された時点で、酷いも何も無いのだが、恐らく幼気 な少女としては、このコトは辛かったに違いない。 「やれやれ………」  溜め息混じりに、僕はふっと視線を虚空に向け、 「にしても、あんさん達は、トコトンついてない」  パンッと云う爆竹が破裂したような、鋭い音がした。眼をやると、ガラス張りの壁に蜘 蛛の巣が現れている。そして時間差を生じて、破裂音が空気中を奔る。  やがて俯きながら言った。 「手紙でもなんでも、普通に俺を呼べば良かったんだ」  態々近寄った桧月は、そこに直径五ミリ程の穴が穿たれているのを発見し、顔を強張ら せた。 「あ………」  その声は誰が発したモノか、果たして驚嘆だったのか、この際どうでもイイ。そこで再 び顔を上げ、鳥羽に眼をやる。 「指弾……」 「応よ。師匠仕込みの裏技でな、肉眼で見える範囲ならフライパン位、簡単にブチ抜ける ぜ?」  僕は右手を開いて、三個の銀玉を弄んだ。 「美人は疵付けたくない無いンだケド、ヒトの彼女を拉致する輩は………」  照準を鳥羽の右眼に合わせながら、 「別だ」  右手の親指を弾いた。  僕の手より解放された凶弾は、音速すら凌駕する速度で、美女の顔面に喰らいつく。  それも、一度だけではなく、何度も何度も。  室内で立て続けに生じる、禍々しい破裂音。  桧月は、一瞬後に起こるであろう惨劇を予想し、思わず眼を瞑った。  そして、僕となぎは―― 「そうか、あんさんもいたんだったな………」  信じ難い光景を目の当たりにしながら驚愕し、思わず呟いた。  僕と鳥羽の間に何処からともなくそいつが割って入ってきたのである。  部屋の中だと云うのに帽子(しかもトンガリ)を被ったインヴァネスの男――ではなく、 女《ガルム》こと狗神 蔵人である。  流石は《忠実なる番犬》と云ったトコか。 「――危ない所でした」 「あんさん、尊敬するぜ」  冷笑を浮かべながら、言葉を紡ぐ彼に、思わず賞賛の言葉が出た。そして彼は拳を突き 出すと、徐に拳を開いた。すると、そこからは、紅く染まった弾がテーブルの上で跳ねた。  未だに信じ難いコトだが、この空間の何処かに潜んでいた彼女は、一瞬にして距離を詰 め、素手で弾を?み取ったのだ。 「やるじゃん!!」  そう言いながら、間髪入れずにテーブルを蹴り上げる。今じゃあとんと流行らなくなっ たが、割とこう云うレトロな奇襲は好きだ。 「もう一丁!!」  ついでに数発弾をバラ蒔きながら、なぎを奪還すべく疾駆する。 「させません」  背後からかけられる、聞いたコトも無い、女性の声。  姿の見えない彼女は、背後から蹴りを放っていた。狙いはあろうコトか、金的だ。  これは、ヤバい。  僕は瞬時に足を閉じ、凶悪な破壊力を秘めた美脚を挟み込んだ。  防衛本能が反射神経を凌駕した瞬間だった。  あと数ミリ深ければ、そう考えると厭なモノが背筋を奔る。  だがそれも一瞬のコト。僕は背後から繰り出される第二撃――即ち顳?を狙った蹴りを お辞儀するように躱しつつ、挟み込んだ足を?み、瞬時に引き上げて寝技に持ち込む。俯 せの彼女に伸し掛かり、定石通り頸を絞めにかかる。無論定石なの、当然相手も警戒して おり、やはり頸を守りにかかる。相手が瞬時に手を交差させて頸動脈を守ると、僕は透か さず脇に手を突っ込む。そして彼女を万歳させて、肩の付け根を支点に思い切り抱き締め る。  がこ………  場違いな音が、空間に流れる。そして刹那の間も無く、女の口から悲鳴が上がる。  すぐそこまで迫っていた狗神を牽制いしつつ、背後を振り向く。そこでは、肩が外れた 女性が一人、床で悶えていた。  生憎と、状況が状況なんでな。  心の中だけ呟き、僕は蹴りつける。但し、狗神にではなく。  既に間合いに入っていた狗神の視界に、突如黒いモノが飛び込む。言うまでもなく、床 で悶えていたおねーさんだ。おねーさんは絶叫しながら宙を舞った。下手に左右へ避ける のは命取りだ。それを知っている狗神は、後方へ大きく跳躍し、おねーさんが倒れ込むと 同時に、弾丸の如く突進してきた。  構えは、刺突。  これも又、左右へ避けるのは命取りだ。  僕が、唯突っ立っていれば、の話だが。 「な………!?」  突如、狗神の動きが止まる。  てっきり、おねーさんの背後に僕がいると思っていた狗神は、その予想をあっさりと覆 された――からではない。いや、強ち間違っちゃいないが、それだけなら立ち止まるコト はない筈だ。  多分。 「く……これは……」  狗神は忌ま忌ましげに、足元へ視線を落とした。そこには、刃渡り二十センチ以上の大 型ナイフが根元まで突き刺さった、実に痛々しい彼女の両足があった。  そう、これこそ狗神が突如動きを止めた理由だ。  あの時、おねーさんを狗神の方へ蹴りつけた直後、僕はおねーさんの股下を滑るように 掻い潜り、そして狗神の足をポケットから取り出したナイフで床に縫い付け、あとは勢い に任せてそのまま脱出、元い彼女の背後を取る。 「狗神ィ………」  この時、一体僕はどんな顔をしていたのだろうか。僕が拳を振り上げると、狗神は恐怖 に引き攣った顔で、反射的に顔面をガードした。しかし、腕と腕の僅かな隙から、十二分 に捻りを加えた縦拳が彼の端正な顔を捕らえる。喰らった瞬間に鼻が陥没し、衝撃波が螺 旋を描きながら浸透する。これはムエタイの選手が使用する技術だ。まさに横が駄目なら 縦、だ。  取り敢えず未だ辛うじて意識が残っているみたいだから、やっておく。  今なら、どんな大技でも極まる筈だ。 「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」  聖門(頭頂部)、天倒(前頭中央)、烏兎(眉間)、霞(顳?)、耳門(耳の付け根)、 鼻、人中(鼻の下)、独古(耳下の顎の付け根)、下昆(下唇と顎の間)――  顔面の急所という急所を打って打って打ちまくる。やがて顔面が倍近く腫れ上がると、 今度はボディに狙いを移す。  村雨(鎖骨内部の窪み)、仏骨(鎖骨中央の窪み)、秘中(両鎖骨の間)、腕馴(肘上 の外側)、脇影(乳の上)、雁下(乳房の上)、水月(鳩尾)、電光(肋骨の下端)―― 「これで終いだ!」  臍に突き立てた中指を抜き取り、中指をリードに眼を突きに行く。 「そこまで!!」  あと一撃でKO、と云ったその瞬間。つまらないコトにも停止の声がかかる。 「あ?」  僕がその意味を理解したのは、背後からやってきた鉛玉が、僕の顳?を掠めていった直 後のコトだった。どうやら消音装置付きだったらしく、銃声は無い。ぱしゅぱしゅ、とい う間抜けな音だけだ。 「ちぇ、正々堂々とやってくれるぜ」  最早サンドバック、元い肉塊と化した狗神を殴る手を休め、僕は静かに興醒めした。 「危うく彼女を死なせるところだったよ」  背後で鳥羽の声が聞こえた。いつの間に移動したのか――まあ、僕が狗神と闘り合って いた時だろうケド−−彼女は、なぎを裸絞めにしいる桧月の側に立っていた。その手には、 似合いもしない拳銃が握られており、その銃口はあろうコトか、なぎの顳?に押し当てら れている。 「もういいわよ」  鳥羽はそう言うと、一体何処に潜んでいたのか、部屋の中に十人のガードマンが入って きた。  恐らく筋書はこうだ。  人質を取り、十人のガードマンを招き入れ、取り敢えず武装解除させて、無抵抗なトコ を取り押さえる。何れも黒尽くめにサングラスと云う中々センスのある連中だ。  基本に忠実で、何の面白みも無いが、それ故に確実だ。まあ、合格点は間違いない。  相手が、僕でなければ―― 「抵――」  抵抗しないで。とでも言いたいのか、しかし僕は鳥羽が「て」と言った瞬間、疾った。  一番近くにいた、今まさに部屋に部屋に入ろうとしたガードマンをドアに挟み込み、身 動きが取れないトコを狙い、胸に拳を一発ブチ込む。丁度息を吐いた瞬間だったので、空 気の抜けた肺は、威力に耐えるコトが出来ずに急激な収縮を始める。念のためもう一発噛 まし、床に崩れ落ちる彼の手から拳銃をもぎ取り、連射。 「抗――」  彼等は、正面に三人を残し、均等に左右に廻り込みながら、微妙にタイミングをずらし て一斉に発砲する。  どうやら、これが彼等の必殺の陣らしい。やれやれと辟易しながら右側に鑑賞用植物を 投げ付ける。案の定、一人は反射的に反応する。  一人で、十分。  馬鹿め。  一発目で鉢が割れ、二発目で土が四方八方に飛び散る。その一部が撃った張本人――A と仮称――のサングラスを覆う。僕は、背後に苦無を三本投擲しながら、Aの顔面――で はなく拳銃を蹴り飛ばし、空中でキャッチする。そして空かさずAの背後に廻り込み、す ぐ側にいたBの方へと蹴り飛ばす。骨の砕ける、鈍い感触がした。二人は抱き合うように 倒れ込む。その隙に僕は拳銃を撃っ放す。バラ蒔かれた六発の鉛玉は、何れも吸い込まれ るように急所に命中し、破壊のエネルギーをブチまける。僕は慈悲深い男だから、二つあ る内一つは残しておいてやる。明日から病院通いだが、暫くすれば直に女の子を抱けるよ うになるだろう。  まあ、運悪く両方とも無くなったとしたら………その時は御愁傷様。明日から『第二の 人生』を歩んで下さい。  心の中で喜々と合掌しながら、血の海に崩れ落ちる彼等から拳銃を?ぎ取り、再び連射。 「し――」  先程正面にいた三人――C、D、Eと仮称――を振り向き間際に沈め、瞬時に状況を把 握する。背後にいた――F、G、H――は、全員が苦無によって眼を貫かれ、内一人―― Fが戦線離脱。GとHは気合いと根性で立ち上がり、構えている。残るIは、Aがやられ た時点で、キャビネットの影に隠れていた。  僕は、弾切れになった銃をGの顔面に投げ付け、ロッカーの影に隠れる。  停滞は、一瞬。  床の上を転がりながら立て続けに引き金を引いた。驚くべきコトにGとHは、闘争心剥 き出しで、すぐそこまでやってきていた。  飛び交う銃弾は、主の命を全うする。彼等の銃弾は、僕の背中や胸を蹂躙し、僕の銃弾 は、彼等から視力を奪った。  物陰に身を滑り込ませながら、彼等を一瞥する。昏く閉ざされた闇の中で、彼等はもが き苦しんでいた。一方僕はと言えば、こんなコトもあろうかと、予めバーテン・ケイさん (本名・藤田 恵一、三十三歳独身)経由で調達した防弾チョッキを着用していたお陰で 無傷だ。これは、(本名・藤田 恵一、三十三歳独身)曰く、何処ぞの国家的研究機関が 総力を結集して開発したと云う代物で、内蔵された衝撃吸収素材は、二トン位まで衝撃な ら耐えるコトが可能らしい。だがしかし、彼等が僕の背中や胸ではなく、頭を狙っていた ならば、僕は間違い無く死んでいたのだ。そのコトを考えると、冷たい汗が背筋を伝う。  懐から新たな得物を取り出し、具合を確かめる。そして全神経を張り巡らせ、全身の筋 肉を極限まで撓める。  緊張し、心臓の鼓動すら聞こえてくる。  その時、予想外の事態が起こった。片眼を貫かれた痛みで、床をのた打ち回っていたE が、突如発狂し、辺り構わず立て続けに発砲し出したのである。  膠着状態の均衡は、崩れた。  僕とIは、同時に飛び出し、まるで申し合わせたかの如くEを仕留め、そして素早く、 又元の場所に隠れた。  敵である僕は兎も角、クールなコトだ。  賞賛しながらも僕は恐怖を禁じ得なかった。しかし、ここで蹈鞴を踏んでいる場合では ない。  やるしかない!  意を決した僕は、行動に移る。これも又まるで申し合わせたかのようにIもキャビネッ トから飛び出していた。  驚くべきコトに、Iは先程Eを仕留めた時とは全く別の、大型の銃を手にしていた。ど うやらキャビネットの影に隠れたのは、得物を変えるためだったらしい。  この一瞬にも満たない刹那を制した者が、生き残る。  Dead or Live――死か、生か。  All or Nothing――総てを得るか、それとも失うか。  要は速さ、それだけだ。  互いに構えるのほぼ同時だった。  だが、それ以降の速度は較べるまでもない。  銃声は、二度。  超音速対亜音速。  蛍光灯の光を反射させながら、僕の銃弾はまさに瞬間移動と呼ぶべき神速で、彼との間 合いを消滅させ、丁度今発射された亜音速の弾とかち合い、そのまま銃口に押し戻す。二 つの銃弾が弾け、銃は暴発する。それを合図に僕は、立て続けに引き金を引いた。  以上、僅か十数秒間の出来事だ。  やがて彼が床に頽れ、周囲を見渡す。誰一人として、ぴくりとも動かない。 「はお。これで、あとはあんさん達二人だけだな」   取り敢えず、十人のガードマン達を倒した僕は、数メートルの間合いを取って、なぎを 人質に取っている二人と対峙した。  もしも彼女達が、なぎに危害を加えようとすれば、ほんの一瞬で、彼女達を倒すコトが 出来る。 「武器を、捨てて」  案の定、鳥羽は言った。 「やだ」  あっさり要求を却下すると、彼女達は絶句した。 「な………」 「何故って?決まってるじゃない。武器を渡せば、こっちが言いなりになるコトはあって も、なぎが戻ってくる保証は何処にも無い。だけど、渡さなければ、少なくともあんさん 達は手を出せない。出したら最後、自分達が敗けるからな」  確かに、これなら敗けるコトはないが、勝つコトもない。言うなれば、時間稼ぎに過ぎ ない。  さて、どうするか………  僕は、約一秒間たっぷりと考えた。 「そう言えばサ、何であんさん達はなぎを攫ったんだ?」  それは、唐突な問いかけだったが、よくよく考えてみれば、これは最初に訊いておくべ き質問である。  しかし、後にこの一連のやり取りが、この地球上に存在する全生命体にまで及ぶ大問題 を引き起こすコトになろうとは、現時点では誰が予想出来たであろうか―― 「君は、《吸血鬼》というモノをご存じかな?」  質問を質問で返す、と言うよりは僕の質問を無視したような、そんな問いかけだ。しか し、その単語を口にした時、鳥羽の双眸に熱のような何かが宿り、やがて消えた。 「あ?人の生き血を吸って、ン千年も生きるってアレか?」 「そう。そして彼女は、その一族の末裔です」  一瞬、自分の耳と彼女の頭を疑った。 「それ、マジで言ってんの?」 「ええ。もっと正確に言うなら彼女は《吸血鬼》と人間の間に生まれた者――言うなれば 《半吸血鬼》とでも呼ぶべき存在なのだよ」  僕は、不審な顔付きで、頬を歪めた。 「仮にそうだとしても、俺には関係無いだろ」 「いや、そうでもない。君と彼女は、決して無縁ではない。君達は出会う以前から既に繋 がっていたんだ」  鳥羽は、あっさりと否定した。そして、 「辻 一――まさかこの名を忘れているとは、言わないだろうね」  鳥羽は、随分と懐かしい名前を口にした。  オリンピック選手を遥かに凌駕する身体能力と知能指数二百以上の頭脳を持つ、闘いに 生きる者ならば誰でも一度は耳にする、生ける伝説の武道家。  曰く、小さな巨人――  曰く、東洋の悪魔――  曰く、柔術の神様――  曰く、武の体現者――  曰く、実力No.1――  忘れる筈が無い。何故なら、 「ああ、俺の師匠だ。ちょっと変ってるが、その伎倆は間違い無く最強。で、どうしてこ こであの人が出てくるんだ?」  まさかとは思うが、『又』何かやらかしたのだろうか。だとしても、それは彼の問題で あって、僕には関係無い筈だ。  多分。 「彼は、彼女――なぎさの父親なんだ」 「嘘だ」  僕は、刹那の間も置かずに、彼女の言葉を否定した。  何故なら、あの人は、確かに女好きだったケド、それ以上に『酒』と『煙草』を愛する 人だったからだ。水よりも酸素よりも食事よりも睡眠よりも女性よりも愛すべき人間の死 よりも親友との約束よりもトイレよりもそして何より武道家でありながらも闘いや稽古よ りも『酒』と『煙草』を優先した人なのだ。食事にしたって昼飯はいつもカップ麺だし、 何処に行くにしたってヒッチハイクなのだ。例え地球の裏側に行く用事があったとしても、 『オレは歩く』と言い切った人なのだ。それ位『酒』と『煙草』が好きな男なのだ。まさ に《世界でイチバン『酒』と『煙草』を愛している人間》と呼んでも過言ではない人なの だ。そんな彼が結婚して、子供を創って、家族を養う訳が無い。天と地が逆様になって、 海の水位が上昇して、最終戦争が勃発して、如何なる奇蹟が起こったとしても百パーセン ト、有り得ない。断言したってイイ。辻 一は、女に貢ぐ位なら『酒』と『煙草』に廻す 筈だ。  だが、もし万が一、絶対に有り得ない話だが、先ず考える時点で無意味な仮定だが、も しそのような可能性があるとすれば、世の中間違っている(葛藤、ここまで約一秒)  ん、ちょいと待てよ。だとすれば、 「余程母方の遺伝子が優秀だったんだろうな」  思わず口に出てしまう。 「確かに」  会ったコトがあるのか、それとも写真で見ただけなのかは判らないが、それに限り意見 は一致しているらしい。 「けれど、それがどうした?」 「《雷神》と呼ばれた男の育てた弟子が《天狼》の二つ名を持ち、実子が《半吸血鬼》と は、実に面白い、元い不思議な縁だ」 「何が、言いたい?」  普段は気にならないが、今は鳥羽の回りくどい言動が癪に触る。そろそろ冷徹さが、失 われそうだ。 「君は、最初から気付いていたんだろう?彼女が《吸――」 「なぎは、人間だ!」  遂に冷徹さが失われた。しかし、それでも言った。怒鳴るような僕の声に、鳥羽、桧月、 そして誰よりなぎが驚いていた。 「確かに、なぎの身体には《吸血鬼》の血が流れているのかも知れない。なぎとの共同生 活の中で、俺も幾つかそれらしきモノを感じてはいた。優れた治癒能力に身体能力、そし て日光に対する拒絶反応――明らかに常人とは異なる能力を持った存在であるコト は否めない」  沸き上がるモノを悟られぬよう、必至に平静を装うが、果たして何処まで持つか分から ない。 「恐らくそれに気付いたのは、ここにいる我々が最初ではない筈だ。初めてなぎに出逢っ た日、捨てられた仔犬のような眼をして淋しがっていたのをよく憶えている。  あんさん達は知っているか?なぎが一体どう云う眼で周りを見ていたのか?  意に反して、他者には無い能力を持っていると云うだけで、周りの人間に疎まれ、嘲ら れ、畏れられてきた。誰にも相容れて貰えなかったなぎは、常に孤独と疎外、そして迫害 と闘ってきた。逃げるコトが出来たのにも関わらず、耐えてきたんだ。物心付いた時には、 既に肉親は側におらず、自分の居場所が無く、周囲と自分、そして世界に絶望してきたに 違いない」  僕はいつに無く饒舌だった。  気が付けば、なぎに昔の誰かさんの姿を重ねてしまい、胸の中であらゆる負の感情が渦 巻く。 「それで?」  素っ気ない言葉で、鳥羽はその言葉の続きを促す。 「そんな少女を何故、あんさん達はつけ狙うんだ!?」  最後の方は、最早吼えていた。鳥羽は、眼を閉じて、内容を吟味するように沈黙してい た。  暫くして、鳥羽は、遠い眼で言った。 「私達の《主》は、君達のような者を求めている」 「ようは、アレか?スカウトって奴か?」  あまりのも場違いなその言葉を言った途端、僕の頬が引き攣った。気が付けば、鳥羽の 頭に銃口を向けていた。 「あんさんと俺、どっちが引き金を引くのが速いかな?」  しかし、鳥羽はそれに構わず、 「何が気に喰わない?条件は望むまま。君の望み、いや欲望とは何だ?教えてくれないか い?恐らくそれは金でも名誉でも地位でもないはずだ。もちろん誰かを護るためでもない のだろう。私達は君を高く評価している。《主》なら君の欲望を満足させてくれる筈だ」 「………」  僕は、黙り込んだ。あの時と同じように、彼女の言葉に心が揺れ動いたからである。  ――は、何を求めて闘っているの?  そんな時、かつて僕の側にいてくれた、或る女性の声が脳裏に蘇った。  僕が何を求めて闘っているのか?そんなコトは決まっている。 「質問を質問で返すようで悪いんだケドサ、あんさんの欲望って何だ?」  訊き返すと、鳥羽は微笑しながら、 「《主》と共に人生を歩み、彼のために生き、死ぬコトだ」 「なるへそ。女冥利に尽きるね」 「ふふ。あの方は、私に人生を与えて下さった、神に等しいお方だ。なあ、コマくんよ。 君の力は素晴らしい。私達の元へ来るんだ。君は己の欲望を満たすために生きるべきだ。 《主》が叶えてくれる」  正直言って、僕は彼女の言葉を、半ば惚れ惚れと聞き入っていた。  そう言えば、《スクリミール》ってのは、幻を見せる者だったな。  面白ェ。 「あんさんもあんさんの《主》も、随分と俺を買ってくれているようで悪いんだケド、俺 はそんなにイイ男じゃないぜ?」  鳥羽は、続きを待つように押し黙る。 「俺ってサ、結構コンプレックスっつうか、欲望って言うのか、そう云うのって結構ある んだわ。毎日小遣いくれる親が欲しいとか、テストで赤点取らない頭が欲しいとか、可愛 い女の子と遊びたいとか、プレス○2やドリキャ○が欲しいとか、他にもここでは言えな いようなコトが色々あるんだわ」  鳥羽だけでなく、いつの間にか桧月までもがこちらに続きを促すように視線を向けてい た。 「でもまあ、お言葉に甘えさせて貰おうかな」 「何なりと」 「なぎを、解放してくれないかな?」 「面白い、冗談だ」  鳥羽は、嘲るように笑った。眼を見れば興醒めしているコトが判る。僕は彼女の反応に 意外そうな顔をして見せた。 「何馬鹿なコト言ってんだ?それが今の俺の正直な気持ちだぜ。俺の欲望を教えてやろう か?さっさとなぎを連れて帰って、『一緒』に風呂に入って、背中や『前』を流し合って、 飯食って、寝たいんだよ」 「そうか。けれど、それは駄目だ。保険が無いのに迂闊なことは出来ない。もし君が私達 を殺害し、逃走すれば、どうなるか、分からない訳ではないだろう?」 「ひっどいなぁ。どうして誰もこの俺の純真な気持ちを解ってくれないのかなぁ?」  戯けて言うと、鳥羽は失笑し、 「これは、切り札だったんだが、最早いたしかたない」  と、意を決したように胸元に――但し、銃口はそのまま――手を入れた。 「大丈夫。武器ではないよ」  思わずその動きに反応した僕に、鳥羽は微笑みを以て制した。ゆっくりと抜き出した手 には、携帯電話が握られている。 「それが、切り札だと?」  それを見て、僕は拍子抜けした声を出した。すると鳥羽は薄笑いを浮かべて、 「そう言えば、君のお義母さんは北海道に出張中らしいね」 「なるへそ………」  そうか、そう云うコトだったのか。  理解し、納得すると同時に怒りが吹き出す。人質を二人取れば、例え一人位殺害しても、 脅しとしては有効だ。 「ホントにお袋が捕らえられているのか?」  確信は無いにしろ、やはり希望に縋りたくなる。例え打ち砕かれるしかないとしてもだ。 「ああ、本当だ。何なら声を聞いてみるかい?」  鳥羽は、携帯を投げて寄越した。すると、ボタンを押していないのに、突如着信され、 聞き覚えのある女性の声が流れてきた。 『ああ、もしもし?コマ?何か知らないケドサ、ホテルがジャックされちゃったみたいな の。みんなを逃がしながら、頑張って五十二人までKOしたんだケド、五十三人目で――』 「敗けたの?」 『まさか。部長『だけ』が捕まっちゃってねぇ。もちろん私は無視して闘おうとしたのよ。 でも、そんなコトしたらボーナスはなしって言うの。だから−−』 「捕まったのか」 『うん。で、よく分からないケド、コマは『お母さんが留守にしているコトをイイコトに 連れ込んだ人様の女の子』を護らなくちゃいけないんだからね。だから私のコトは全然気 にしなくてイイからね。もうホントマジで』  するに決まってるだろ。  なぎを何とか助け出しても、お袋は殺され、お袋を選んで、何とかなぎを助け出したと しても、お袋はやはり殺されるだろう。  即ち、お袋は確定。  鳥羽の意図するトコを理解し、僕は拳銃を彼女達の方へと転がす。 「これでイイか?」 「まだだ。君は切り札を幾つも用意している気がする。悪いケド、服を脱いで、こちらへ 渡してくれないかい?」  何てコトだ。 「擲弾出射装置に青龍刀、吹き矢にナイフ、炸裂弾にダイナマイト、ヌンチャクに閃光弾、 鉤爪に鋼棍、苦無に小刀、手榴弾に催涙弾………おやおや、こんな所に六節棍にスタンガ ンが。更にモーニング・スターか。これ又随分マニアックな武器を。さてはキミ、マニア だね?。しかし大小合わせれば、ここを軽く吹き飛ばしてもお釣りが来るな。しかしよく もまあ、これほど隠し持ったものだ。まるで歩く武器庫だな」  鳥羽は、人の服から取り出した武器を弄りながら、感想を述べた。 「おい、もうイイだろ?」  苛立ち混じりに僕は呟いた。現在僕は、身ぐるみを剥がされて、トランクス一丁しか身 に纏っていない。  これは、ヤバい。  このまま外へ放り出されたら、末代までの恥だ。 「もう、無いだろうね?」  未だ疑惑の念を拭えぬらしく、鳥羽は僕の身体をじろじろと嘗めるように見た。  そんな風に見られたら、気恥ずかしくなるではないか。 「無いったら、無い!」  こればっかりは、本当だ。 「これ以上やったら(色々な意味で)冗談じゃ済まなくなるぞ!?」  そう、なぎにしか見せたコトが無いのだからな。 「ふふ。冗談だ。その代わり、これを装着してもらおう」 「それ?」  鳥羽は、何処からともなく手錠を取り出し、僕の足元へと投げた。 「我が社が開発した代物だ。その鎖はバーナーでも焼き切ることは出来ず、リングは特殊 合金だ。恐らく君の膂力も以てしても、鎖を千切ることもリングを破壊するコトも出来な い。仮に出来たとしても、自動的に爆発する仕組みになっている」 「………」  僕は流石に躊躇した。だがしかし、自体も彼女もそれを許してはくれなかった。 「さあ、早く。余計なことを考えずに」  仕方が無い。  この状況下では、手の出しようが無い。最悪の場合、なぎもお袋も殺される。  ゆっくりとした動作で、手首に輪をかける。 「ほら」  手錠を嵌めると、それを鳥羽に見えるように掲げて見せた。 「ふふ。じゃあ、ゆっくりとこっちへおいで」  言われるがままに、一歩一歩前進してゆく。  一歩、又一歩と、僕は彼女に近付いている。既に間合い入り、制空圏が触れ合っている。 「ストップ」  彼女の言う通り、僕は止まった。鳥羽との距離は約一メートル、と言った至近距離で向 き合っていた。 「それじゃあ、ま――」 『緊急事態発生、緊急事態発生!!応答せよ!!』  鳥羽が何か言おうとしたその時、絶妙なタイミングで先程の携帯から切羽詰まった声が 聞こえてきた。 「な、どうしたんだ!?」 『大変です。突如、ぎゃあああ―――――――――――――――――――――――!!』  何だかよく判らんが、携帯の向こうから断末魔の声が聞こえてきた。そして、 『あ、あ。マイクテス、マイクテス。本日は晴天なり。もしもし、コマさん?聞こえる? オーバー?』 「先輩………」  聞き覚えのある声に、思わず驚愕する。 「どうやら依頼は――お袋を助け出してくれたようだな。有難う」  自然と感謝の言葉が出た。声は擦れ、視界は震えている。 『ふっふっふぅ。面白いコトのためなら、私は全力を尽くしますからな』  どうやらノ先輩は、絶妙なタイミングで、危機を好機へと変化させた。  そう、手段は不明だが、彼女はお袋を救出してくれたのだ。一体どういう目論見がある のかは、知らないが、ありがたいコトだ。 「くくく………」  低い笑い声を漏らしながら、素早く関節を外し、手錠から手を解放させる。 「さあ今週もやって参りました。クイズの時間です。早速ですが問題です。第一問、引き 金を引くのと、蹴りを放つのと、果たしてどっちが速いでしょう?」  動揺しながらも愕然とする鳥羽に、僕は素早く服を纏って、クイズ番組の司会者宜しく、 超簡単な問題を出題した。 「正解は、どちらにしても俺の方が速い」 「待――」  涙さえ浮かべている彼女に、僕は優しく言葉を紡いだ。 「大丈夫」  指を、パチンと鳴らした。  すると、ぼこんと音を立てて、鳥羽の右腕が跳ね上がり、肘があらぬ方向へと曲がった。 「もう、終わっているから」  事態を把握出来ていない鳥羽は、反射的に左手で押さえ付け、声も無く絶叫する。  あまりの速さに、知覚するのが一瞬遅れ、突然訪れた痛みに完全に喉が塞がっているの だ。 「肘を外しただけだ。でも脱臼癖がついたら大変だから、早目に病院に行った方がイイぞ」  軽い口調で話し掛け、取り敢えず落としに掛かる。銃の引き金を引くよりも速く蹴りを 放つ。日々の鍛練が実戦で活きた瞬間だ。格闘技って最高と思う傍ら、やっぱり自分は達 人なんだなと自画自賛する。  しかし、古今東西如何なる達人でも仕合いの中ミスを犯すコトがある――僕はこの時、 銃が暴発する可能性を失念していた。  鳥羽の肘関節が外れた弾みで、突如銃が暴発し、銃口から灼熱の弾丸が飛び出した。そ して、運が悪いコトに、それはなぎの胸部に食らいついた。困ったコトに、貫通はしてい ない。  僕としたコトが、何て失策だ。しかしこのままでは拙いな。 「おいたが過ぎたようだな、欺瞞女が………」  内心苛立っているのにも拘らず、その声は静謐だ。 「二流は二流らしく遊んでいればイイモノを………」  彼女の眼に写る僕に、表情は無い。 「に――」 「黙れ」  言うと、スクリミールの抗議が、突如消えた。彼女は口を噤み、顔を歪ませている。一 方、僕はと言えば、 「冥途の土産に、幻の恐怖を教えてやる」  自分でも驚くほど邪悪な笑みを浮かべている。 「これが、辻無限無双流柔術だ!」  蹴りを放った。  恐らくそれは、彼女――スクリミールにとって、百分の一秒にも満たない一瞬だったに 違いない。  眼前に迫り来るハイキックは、スローモーションの限界でも霞む程の迅さだった。しか し、彼女はそれを感じとっていた。蹴りではなく、一瞬後の未来と自分をそこへ誘う殺意 に。  人間は死ぬ際に走馬燈を見ると云うが、果たして彼女は、それを見たのであろうか?  それは今となっては分からない。  分かるコトと言えば――  心にあるのが、恐怖であるコト。もしこれが永遠に続くとなれば、流石の彼女であって も無事では済まない。  しかし、この拷問は一瞬で終わった。  パン――  その瞬間、室内では時が凍り、一瞬遅れて破裂音が奔った。 「す、寸止め………!?」  桧月が、辛うじて呟いた。  そう、確かに寸止めだ。  但し、辻流の技である限り、唯の寸止めである訳が無い。  スクリミールは低く呻きながら、血涙を流していた。溢れる血は間歇泉の如く、止まる コトを知らず、恐怖により青ざめた顔を、その血が濡らしていた。 「辻無限無双流柔術・魔滅死」 「まぼろし………?」  へたり込んでいる血達磨の恐怖が伝染したのか、繰り返す桧月の声は弱々しい。 「ああ、幻だ。終わるコトの無い、永遠の悪夢だ」  口の端を釣り上げて、自分でもコワい位の邪悪な笑みを浮かべる。  辻流は相手に潜在的恐怖を植え付けるコトを真髄とする。植え付けられた恐怖は取り除 くコトが出来ず、死ぬまで心に巣くい、やがて心身共に蝕んでゆく。更に付け加えるなら ば、こいつをかけられても即死はしないが、治療は不可能だ。故に症状は限界まで悪化し、 凡そ全ての身体機能が消滅する。言うまでもなく、真面にモノを考えるコトが出来なくな るため、唯一の救いである死を失念する。  結論、こいつはもう既に人間としてスクラップだ。故に救いは無い。 「あと、一人」  嘲るように一瞥すると、今の今までなぎを拘束していた桧月は、考えるように眼を細め た。まるで、己の記憶の糸を辿るかのように。  そして―― 「不破 天斗……」  いきなりなぎをこちらに突き飛ばすと、彼女は震えるようにその名を口にした。  不破は不敗、天は神々、そして斗は闘いを意味する。即ちそれは、敗れるコト無く、 唯只管神々に闘いを挑みしモノを指す――懐かしい、名だ。 「若気の至りって奴だ。恥ずかしいから皆には内緒だぞ?」  フレンドリーに語りかけながら、僕は一人焦っていた。そして一方桧月は、それ所では なく、今にも死にそうな勢いであった。 「ま、さか………そんな大それた男を相手にしていたとは………」 「俺のコトを、何処まで知っている?」  拳を向けながら、静かに訊いた。すると、彼女は俯きながら物語るように言った。 「その昔、たった一人の男によって、組織は壊滅寸前まで追い詰められた。その男はあら ゆる武器を自在に使い熟し、組織の大半を潰した。投擲するモノは例外無く急所を貫き、 手にした刃はあらゆるモノを斬り裂いたと言う。しかし、それは男にとっては気遣いに過 ぎなかった。  素手となったその男は更に恐ろしい戦士となった。その男の打撃は肉体を確実に破壊し 、眼にも留まらぬ関節技は、精神までも極めると言う、凄まじい戦闘能力の持ち主だった のである。  それはまさに悪魔。千人を越える武装集団が鏖になるまでに、二十四時間と掛からなか ったのである。  そして彼は、最後に残った我らが《主》と相見え、死闘の末、その行方を眩ませた。結 局勝負は痛み分けということになったが、事は深刻な事態へと陥り、我らが《主》は重傷 を負い――」 「解った」  自分で訊いておいて、打ち切るのも失礼なモノだが、そうするコトで自分のペースに持 ち込むコトは悪くない。  そして、僕はゆっくりと拳を引いた。桧月は喉の奥から安堵の息を漏らし、ぺたりと床 に座り込む。そして―― 「でも、あれはどう思うのかな?」  呟いた一瞬後、桧月が文字通り爆裂した。