[ 不良神父、吸血鬼と闘り合う  僕が拳を引くと、日月は安堵の息を漏らし、ぺたりと床に座り込んだ。 「でも、あれはどう思うのかな?」  僕は呟きながら、後方へ跳んだ。一瞬後、桧月は文字通り爆裂し、存在そのものが消滅 した。安堵から疑念に変わる、微妙な表情だけが、僕の記憶に残った。  まあ、どーでも―― 「――よくはないか」  突如、ほんの数秒前に立っていたトコから粉塵が舞い上がり、その中から底の知れない 妖気が漂ってきた。やがて粉塵が収まると、僕は信じ難い光景を目の当たりにする。 「マジかよ………」  全身から発散される、超濃厚な殺意が獲物を求めて辺りを漂う。妖気が触れた瞬間、物 理的な痛みを伴ったかのように錯覚する。  逆立った髪から飛び出た一対の角。灼熱の殺意を持て余す紅き双眸、果実色の唇から覗 く発達した牙。はだは黒ずみ、筋肉は不気味なまでに脈動している。そして発達した筋肉 と言えば、僧帽筋からは広く、巨きく、そして禍々しい闇夜の翼が生えている。  伝説の中だけに生きるコトを赦される存在――悪魔である。  そして――なぎである。 「ぐるぉおおお―――――――――――――――――――――――――――――んっ!」  そうとしか表現出来ない音で、なぎは吼えた。その喉から迸る咆哮は、地獄の雄叫びそ のもの。彼女が一体何を求め、何を考え、何を成そうとしているのかは判らない。  しかし、これだけは言える。  僕は、これからなぎと闘り合い、彼女を止めなければならない。  そして―― 「なぎ――ッ!」  突如なぎの姿が消失し、ほぼ同時に僕は吹き飛ぶ。  ………――  最初に来たのは、筆舌し難い衝撃。  次の瞬間、背中に激痛が走る――背中から、硬い壁に叩きつけられたのだ。コンクリー トの壁は、僕を中心にして球を描くようにして押し潰された。骨が軋み、肉が潰れる厭な 音が聞こえた。  僕は痛みに悶えながら、盛大に吐血した。そして壁に減り込んだ身体が力無く頽れ、自 ら作り出した血溜りに頭から突っ込む。 「人間ごときが、気安くオレ様を呼ぶんじゃねーよ。バーカ」  耳朶に落ちてきたのは、ドスの利いた声。雰囲気にかなり戸惑ったが、それは紛れも無 く、なぎの声である。  しかし、オレ様? 「な………」 「いいから、死ね!」  側頭部に衝撃が走り、一瞬で意識が遠退く。そして、そこで僕は思い出す。  吸血鬼とは、人間の生き血を糧とする種族で、その肉体に備わった能力は驚愕に値する。 例えば背中に生えた闇夜の翼を以って空を自在に飛び回ったり、常識では考えられないよ うな超人的な怪力を有している。一説によれば、彼等は不老不死で、頸を刎ね飛ばしたり、 心臓に杭を打ち込んだりしても復活してしまうという無敵に近い存在らしい。  故に、《闇夜の魔人》と人々に畏怖を込めて呼ばれている。  だが、もしそんな連中の存在が確認されれば、社会にとっては充分脅威であり、平和の 維持の為に彼等は殲滅されるだろう。  しかし、それは飽くまで世間一般の認識に過ぎない。  忌まわしき《O・D・K》時代、僕は《主》の元で吸血鬼を狩っていた。戦績は常勝不 敗。しかも素手でだ。気付けば千人単位の吸血鬼を狩っており、真名に因んで《天狼》と 呼ばれるようになり、僕は少しいい気になっていた。  しかし、或る日を境に僕の考えは変わった。  何故か?――それは、全てを知ってしまったからだ。  吸血鬼と人間の関係、そして因果、ルーツ、運命――全てだ。しかしそれを逐一ここで 述べるコトは出来ないが、幾つか言えるコトがある。  先ず第一に、彼等には個体差と言うモノがあり、主に吸血行為や身体能力なんかそうだ。  彼らにとっての吸血行為とは、我々人間にとっての食事に当たる。考えてもみよう。人 間だって何だって生きる為に他の生物から栄養分を摂取している。生きる為にだ。そこに 罪悪感があるだろうか?  答えは、NOだ。  そして当然のコトながら吸血鬼とて例外ではない。生きる為、腹が減ったから飯を食う。 そして彼らにとっての飯が、たまたま人間の生き血だった、ただそれだけのコトだ。  しかし、古代神話や伝説に登場する吸血鬼のイメージからは、それが沸かない。出てく るのは飽くまで恐怖だ。しかし、それも無理は無い。何故なら元々吸血鬼を含め、凡そ人 外の魔物と定義される存在は、時代の影と闇に色濃く残った人々の苦難と絶望、そして恐 怖から始まり、生まれたのだから。  そう、吸血鬼は人間の恐怖が生み出した存在なのだ。  人間は誰しも恐怖を感じる。些細なコトから究極的なコト――死まで様々だ。そして恐 怖とは痛みだ。人間は痛みを持つコトにより、立ち止まるコトも前へ進むコトも出来る。  故に恐怖と痛みは、人間から切り離すコトは出来ない。そしてそこから一つの結論が齎 される。  人間が生きていく為に恐怖と痛みを持つ限り、人外の魔物は存在し続ける。つまり、我 々は光と影、コインの表と裏、そして運命を共にしてきた双子の兄弟であるというコトに 他ならない。  言うまでも無く、この結論に辿り着いたのは僕が初めてという訳ではない。しかし、こ こへの到達は、否が応でも選択を迫られる。運命的ではなく、宿命の選択だ。  選択肢は三つ。  受け入れるか、否か。そして受け入れた上で闘うか逃げるか。  多くの人間は、受け入れない。そして受け入れた数少ない人間も遅かれ早かれ逃げに回 る。中には例外中の例外で最後まで闘い抜く人間もいる。しかしそういう人間は、稀だ。 そしてそういう人間の寿命は長くない。   しかし、上の何れも幸せだと思う。  何故か?――それは、僕には初めから選択肢なんか無かったからだ。  馬鹿な意地を張った為に、僕は結論に達するまでの過程で全ての選択肢を失った。前に 進むコトも後ろへ下がるコトも出来ず、未だ迷ったまま踏ん張っている。  そしてそうこうしている内に、この通りなぎと闘り合う羽目に陥っている。  ん?………待てよ。  何で僕、生きてるんだ?  ダウンしてから多かれ少なかれ時間が経っている。このまま急所に一撃を加えれば、一 瞬で勝負が着くのに、何故?  一瞬、脳裏にこれまでの出来事が走馬灯の如く駆け巡り、疑問に対する答えと打開策を 見つける。そして同時に自らの愚かさを呪う。  赤面しながら両手と膝を床につき、荒い息を吐きながらも、気を奮い立たせて何とか立 ち上がる。しかし筋肉は痙攣し、膝はかつて無い程爆笑中だ。おまけに平衡感覚は失われ、 身体はふらふらとよろめいている。我ながら頼りないコトこの上ない。 「畜生………」  壁に凭れ掛かりながら、小さく毒づく。この手を放せば、今にも突っ伏してしまいそう である。更に付け加えるならば、シャツとスラックスがズタズタに破け、半裸に近い。し かも最悪なコトに、身体中血と汗が纏わり付いて気持ちが悪い。しかし、心の何処かでお 気に入りの服が破れて憤っている自分が可笑しい。どうやら、まだ余裕があるらしい。そ れが唯一の救いだ。 「へへ………」  霞む双眸を細めて、周囲を見回す。  視界にあるのは修羅の宴。生きている――と言うよりは、死んでいない敵サンが、なぎ によってその命を毟り取られている。瞬く間にも、又一つ、又一つの肉塊が弾け、その存 在を消してゆく。  やがて、この空間に残ったのは、僕となぎだけとなった。  ――やるしか、ないようだ。  自嘲するように心の内で呟き、ボロキレに等しいシャツを脱ぎ捨てる。そこから現れた のは、巨きな十字の裂傷が走る前面と悪魔の左翼のタトゥーとその上に存在する大小無数 の傷が刻み込まれた背中で構成された上半身だ。 「来いや、なぎ!」  心の中では帰りたいと思いながらも、そうは問屋が卸さない。  よくよく考えてみれば、現在のなぎは力に翻弄されているに過ぎない。  この場合の力とは、子供が大人に成長するに当たって、得る物と失う物のコトである。  子供が成長するというコトは、体力と知恵がつくコトである。しかし、失われる物もあ る。それは殺意だ。  子供の喧嘩という物をご存知だろうか?子供とは力も知恵も無いが、紛れの無い本物の 殺意を携えている。よって加減の仕方も知らずに、力任せの単調な攻撃を続ける。  そんなコトをすればどうなるか?――答えは簡単。  子供はあっという間に力尽き、突如眠りに就く。  そして現在のなぎは、パワーこそ尋常ではないが、子供の喧嘩をやっているに等しい。  打開策――つまりなぎを元に戻す方法とは、なぎを眠らせるコト。なぎを極度の疲労へ と追い込めばイイのだ。その為、僕は全力を以って闘り合うコトになるが。  しかし、先のダメージを考えると、僕の先頭時間は持ってあと三分。最早長期戦は有り 得ない。短期集中で結着を着けるしかない。  戦闘不能まであと三分――秒読みが始まった。 「オレ様を気安くよぶんじゃねぇえええ―――――――――――――――――――っ!」  一声上げながら、なぎが一直線に突っ込んできた。十メートル近い間合いはほんの一瞬 で消滅し、その動きは瞬間移動と見紛うかのようだ。  しかし―― 「哈!」  ぎりぎりまで引き付けて、なぎの鼻目掛けて頭突きを噛ます。鼻骨が折れ、鼻孔から血 が一気に噴き出す。しかしなぎはそれに構わず、そのまま前蹴りを放つ。リーチは短いが スピードとパワーは尋常じゃない。しかし、一歩踏み込んで受け止め、なぎの吸気の瞬間 を見計らって掌底を鳩尾に噛ます。途端なぎは鳩尾を押さえてその場で悶絶する。無論そ の隙を逃す僕ではない。  戦闘不能まであと二分五十秒――素早くマウント・ポジションを取り、グレイシー宜し く鉄建の雨を降らす。狙いは先程圧し折った鼻。鼻を完全に潰せば、肺のダメージと総じ て呼吸困難へと陥り、こちらも長期戦が不能となる。ダメージは違うが、そういう意味で の条件は、五分と五分だ。しかし、ここで気を付けなくてはならないのは、それ故に攻撃 が単調になるので、相手に捕まらないコトに注意を払わなくてはならないというコトだ。  戦闘不能まであと二分三十秒――約二十秒間のラッシュで息が上がり、僅かに速度が落 ちたトコを見計らって、遂になぎが反撃に出てきた。止めのつもりで放った右拳をあっさ りと受け流され、逆にパンチを返される。一見何の変哲も無いパンチは見事に僕の顎を捕 えた。ここには中枢神経の九十パーセントが集まっており、イイのを食らうと意識が飛ぶ。  戦闘不能まであと二分二十秒――宙を舞う僕の頭を何者かが鷲掴み、そのまま床に叩き 付ける。それも、一度だけではなく、何度も何度も叩きつける。あまりの速さに防禦が間 に合わなかった。そのため、最初の一撃で額が割れ、二度目で肉が削げ落ちた。三度目が 来ると流石にヤバいので、無意識の内に頭部を守っていた。  戦闘不能まであと二分――頭部を掴むなぎの手を掴み、そのまま指を楔のように打ち込 む。なぎの筋肉に進入を果たした十指は、その身に血管や神経を引っ掛け、一気に引き千 切る。  戦闘不能まであと一分五十秒――自由を失ったなぎの右手を取り、肘を極めにいく。 「おらおら、どーした!さっさとタップしねェと、腕が折れちまうぞ?今だったら出血大 サービスでぱ○○○二十回で許してやるからよう!」  慈悲深い僕は、降参を進めながら一気に腰を上げる。やがて肘の内角は一気に水平へと 近付き、肘はその役目を終えようとしていた。しかし、窮地に陥ったなぎの生存本能はそ れを良しとはしなかった。  戦闘不能まであと一分四十秒――傷口から白煙が噴き出し、視界を閉ざす。同時に傷口 は急激な速度で縮小し、その姿を消す。同時になぎの二の腕に巨大な力瘤が生まれ、体重 九十一キロの僕の身体を片手で持ち上げ、そのまま地面に叩きつける。 「なぎめ………もはやぱ○○○だけじゃ済まさねェ。○ぇ○○○も追加したる!」  戦闘不能まであと一分三十秒――投げられる前に素早く手を放し、後転しながらなぎと の間合いを取る。しかし、再び立ち上がった時には、なぎの姿は何処にも……… 「ぐる………」  戦闘不能まであと一分二十秒――あれほどの殺気と気配を殺したなぎが、神速のタック ルを用いて懐に潜り込み、同時にテイク・ダウンさせる。素早く起き上がろうとしたが、 何分体勢も悪く、最悪なコトに両足を取られ、逆に馬乗りされる。丁度先程の攻守体勢が 逆転した形になる。 「死ねぇえええ――――――――――――――――――――――――――――――っ!」  拳を頭上に振り上げ、なぎは雄たけびを上げた。  戦闘不能まであと一分十秒――振り下ろされる鉄拳を捌き、時に返しながら必死に海老 反りし、スイープを試みる。しかし、狂戦士状態になっても流石は柔術家の愛娘。しっか りとこちらの芯を取り、この状態をキープし続けている。結果、僕達は移動し続け、遂に 僕は窓際へと追い詰められた。  ――なぎの野郎、もうぱ○○○と○ぇ○○○だけじゃ気が済まさなェ。さらに△△も追 加してやる。  戦闘不能まであと一分――なぎは己の勝利を確信した、邪悪な笑みを浮かべ、僕の顔面 に向かって大振りの一撃を放つ。  ――チャンス。  眼前に振り下ろされた鉄拳を前頭部で粉砕し、突き立てた中指をなぎの左眼に滑り込ま せる。すると案の定、なぎは左眼を押さえ、のた打ち回る。その隙に僕はマウント・ポジ ションから脱出し、攻撃に移った。  戦闘不能まであと五十秒――唯一の誤算は、なぎの生存本能と闘争本能。背後に廻り、 なぎの後頭部にローを入れようとしたトコをいち早く察知され、防禦される。そしてなぎ はそれだけでは飽き足らず、そのまま足首を取って、背負い投げの要領で僕を窓へと投げ る。  ――ヤバい!  下手な受身や防禦じゃ持たないコトを悟ると、一か八かで残る足をなぎの頸に絡み付け た。 「一人じゃ死なん!」  戦闘不能まであと四十秒――なぎの頸を足で絞め上げながら、頭から床に突っ込む。そ して頭が地面に激突する寸前で、両手を付き、倒立前転の要領で回転し、そのまま背中か らなぎを窓の外へとブン投げる。バリンという破砕音と共に、僕達は夜空へとダイブする。  戦闘不能まであと三十秒――地上に激突するまであと一秒と言うトコで、なぎは急停止 する。原因は、今の今まで忘れていた闇色の禍々しい翼である。しかし、そのコトに気付 いた時にはもう遅く、なぎは僕を背負ったまま遥か上空へと上昇し、地上に存在する無数 の建物が見えなくなったトコで、急降下した。  戦闘不能まであと二十五秒――地上に激突する三秒前というトコで、僕は唾を吹いた。 狙いはなぎの右眼。急降下中というコトもあり、勢いに乗ったそれは、飛針のように標的 を射る。一時的に視力を失ったなぎは、混乱して、出鱈目に宙を高速移動する。  ――このままではマズい。  戦闘不能まであと二十秒――出鱈目に動くなぎを制すため、途中までダイブの時と同じ 方法を取る。両足でしっかりとなぎの頸に食い込ませ、思い切り頭から突っ込む。強引な 力と速度を以て、方向を無理矢理捻じ曲げる。そして本日三度目の急降下で、今度こそ僕 達は地面に激突した。  戦闘不能まであと十五秒――地面に激突するギリギリのトコで、頸を反らし、なぎの頭 をアスファルトに突き立てる。流石にこれにはなぎも参ったらしく、彼女の口からは多量 の血液と意味不明な奇声が飛び出した。しかし、油断はならない。それでもなぎはこちら に向かってきたからだ。  戦闘不能まであと五秒――器官と動脈を一気に絞め上げ、酸素の循環を停止させる。こ れは以前別の吸血鬼を斃した時に判ったコトだが、彼らと人間の身体的違い――勿論これ も個体差はあるが――は、意外にも然程無い。具体的な例と説明は後に挙げるが、あと数 秒間絞め上げれば、なぎは落ちる筈だ。  戦闘不能まであと三秒――なぎの口から泡が吹き出し、白目を剥く。  戦闘不能まであと一秒――揺れ、もしくは最後の抵抗が終わり、遂になぎが落ちた。  戦闘不能――  全身力が抜け、疲労がどっと押し寄せてきた。途端、腰が抜け、僕は前のめる。  もう――